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聖歌は生歌

聖歌は生歌

復活節第6主日

《A年》 
130 主をたたえよう
【解説】
 この詩編66は大きく二つに分けられます。前半の1-12節は主語がわたしたちで、全世界に向かってイスラエル
になされた神の救いが呼びかけられます。後半の13-20節は主語がわたしとなり、個人的な救いに対する言及と
それに対する感謝と賛美が語られます。この主語の対照は、巡礼者が集まる民族的な祭りが背景にあり、このよう
な祭りでは、最初に共同体の感謝が行われ、続いて、個人的な感謝の奉献が行われたからだということです。
 さて、この「主をたたえよう」はすべての答唱句の中で、最も多くの詩編唱が歌われます。答唱句は、詩編136:1
〔131〕から取られています。この詩編136は、グレゴリオ聖歌では復活徹夜祭に歌われます。八分の十二拍子の
答唱句の冒頭は、トランペットの響きで始まります。なお、『典礼聖歌』合本では、最初、テノールとバスは、H(シ)で
すが、『混声合唱のための 典礼聖歌』(カワイ出版 2000)では、四声すべてFis(ファ♯)-Dis(レ♯)-Fis(ファ♯)
-H(シ)-Dis(レ♯)となっています。この、ユニゾンのほうが、力強い響きに聞こえると思います。
 「主をたたえよう」では、バスがGis(ソ♯)からFis(ファ♯)へ下降することで、ことばを延ばす間に、和音も二の和音
から四の和音へと移り、さらに「主はいつくしみ」までE(ミ)からDis(レ♯)へと深まります。その後は、旋律も和音も
落ち着いており、神のいつくしみの深さと限りないあわれみを穏やかなこころでたたえながら、答唱句は終わります。
 詩編唱は、冒頭、最高音のH(シ)から、力強く始まります。主に、詩編唱の1節全体で、一番重要なことばが多い
第三小節は、最も低いDis(レ♯)を用いることで、重厚さと、低い音への聴覚の集中を促しています。詩編唱の最後
は、主音Fis(ファ♯)で終わり、そのまま、答唱句へとつながります。
【祈りの注意】
 答唱句の旋律は、主音:Fis(ファ♯)⇒旋律の最低音:Dis(レ♯)⇒主音:Fis(ファ♯)⇒旋律の最高音:H(シ)と動
きますから、この旋律の上昇の力強さを、全世界への呼びかけの強さへと結びつけましょう。八分の十二拍子のこの
曲は、八分の六拍子の曲と同様に、八分音符ではなく、付点四分音符を一拍として数えましょう。「主をたたえよう」
の「た」を、心持早めに歌い、続く八分音符への弾みとすることで、全体のテンポが引き締まります。
 「たたえようー」と延ばす間、さらに cresc. を強めることで、呼びかけが、すべての国に広がるでしょう。このとき、
バスがGis(ソ♯)からFis(ファ♯)へ下降することで、和音が変わりますから、他の声部はしっかり呼びかけを続け、
バスは地球の裏側にまで、この呼びかけを深めるようにしましょう。その後、八分休符がありますが、この休符は、次
の「主」のアルシスを生かすためのものですから、きちんと、入れてください。
 この、「主」がアルシスで、よく歌われると、このことばがよく生かされるばかりではなく、続く、滑らかな旋律の信仰
告白が、ふさわしい表現となります。最後の「深く」の四分音符が、必要以上に延ばされるのをよく耳にしますが、そ
れでは、答唱句の重要な信仰告白のことばが、途中で途切れてしまい、答唱句全体のしまりもなくなります。ここ
で、やや、 rit. するからかもしれませんが、この rit. は、ことばを生かすためのものですから、「その」に入ったら、す
ぐにテンポを戻しましょう。あくまでも、「ふかくーその」は、八分音符三拍分の中であることを忘れないようにしてくだ
さい。
 最後は「そのあわれみは」くらいから徐々に rit. して、答唱句を締めくくります。「えいえん」で、八分音符を五拍延
ばす間、まず、dim. (だんだん弱く=いわゆるフェイドアウト)しますが、きちんと五拍分延ばしてください。その間、作
曲者も書いていますが「神様のことを」、神のいつくしみの深さもあわれみも永遠であることを、こころに刻み付けまし
ょう。最後の「ん」は、「さーぃ」と同じように、「え」の終わりにそっと添えるように歌います。
 第一朗読では、サマリアの町の人がフィリポの宣教を受け入れたことが、驚きをもって語られます。ヨハネ福音書に
もあるように、サマリア人とユダヤ人は、モーセ五書は共通の正典としていても、犬猿の仲だったからです。さらに、
ペトロとヨハネが聖霊を願うと、サマリアの人たちの上にも、聖霊が降りました。これから先、聖霊は、ユダヤ人ばかり
ではなく、異邦人にも注がれ、教会は全世界へと広がってゆきます。つまり、福音書で主御自身も言われているよう
に、キリストを愛する人には、弁護者である聖霊を父が遣わしてくださるのです。
 この、父のいつくしみを心に刻みながら、今日の詩編で、「神に向かって喜びの声をあげ、その栄光を賛美」したい
ものです。
【オルガン】
 復活節という季節からも、答唱句のことばからも、明るいストップを使いたいところです。会衆の人数によっては、プ
リンチパル系を入れてもよいでしょうか?やはり、大切なのは前奏で、トランペットの響きを髣髴とさせるように、そし
て、なんと言っても、会衆の賛美の声が、活き活きと歌われるような前奏を心がけましょう。

《B年》
 149 遠く地の果てまで
【解説】
 今日のミサで歌われる詩編98は、前の二つの詩編96・97とともに、王である神(主)をたたえ、イスラエルだけで
はなく、すべての民・すべての国がその到来を待ち望むことが述べられ、《第二イザヤ》とも表現や思想が共通するこ
となど、非常に似た内容となっています。この詩編98は詩編96に似ています。また、有名なマリアの歌「マグニフィ
カト」も、この詩編から取られたと思われるところがあります(詩編の2節や3節など)。
 答唱句は、作曲者が「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で、旋律が始まり、これによって、「遠く
地の果てまで」という空間的・地理的広がりと、そこに救いがもたらされるまでの時間的経過が表されています。「す
べてのものが」では、バスが半音階で上行し、それに伴って和音も変化し、さらに、「ものが」で、旋律が再び6度跳
躍し、「すべてのもの」という、量的数的多さが暗示されています。
 「かみの」では、旋律が最高音になり、旋律とバスも2オクターヴ+3度に開き、王である神の偉大さが示されま
す。「すくいを」は、旋律が最低音(ミサの式次第のそれと同じ)となり、救いが地に訪れた様子が伺われます。「すく
いを見た」では、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いることで、答唱句をていねいにおさめるとともに、ことばを意識
することにもなっています。
 詩編唱は、主音F(ファ)から始まり、上下に2度動くだけですが、1小節目では終止の部分で音が動き、ことばを強
調します。4小節目は属調のC-Dur(ハ長調)に転調しことばを豊かに表現するとともに、そのまま答唱句の冒頭へと
つなぐ役割も持っています。
【祈りの注意】
 答唱句は、解説でも述べた、「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で始まりますから、この「遠く地
の果てまで」という表現にふさわしく、祈りの声を表現しましょう。今日と先週の第一朗読では、救いがユダヤ人だけ
ではなく、異邦人=すべての民にまで及ぶことが述べられています。ユダヤから見れば、この日本はまさに遠い地の
果てです。この日本にキリストによる救いがもたらされるまで、二千年近い時間もかかりました。しかし、わたしたちは
確かにキリストによる神の救いを見て、それを信じているのです。この確信を込めて、答唱句を歌い始めましょう。そ
のために「果てまで」の付点四分音符は十分にのばし、その後一瞬で息継ぎをします。「すべてのものが」は、accel.
気味=やや早目にすると、臨場感があふれます。最後の「が」は、その前の「の」にそっとつけるように歌うと、ことば
が生きてきます。決して「ものがー」と歌ってはいけません。「かみ」はアルシスの飛躍を生かします。最後の「救いを
見た」は解説でも書いたとおり、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いることで、答唱句をていねいにおさめるように
なっていますから、決してぞんざいにならないように、まことに、わたしたち一人ひとりが「神の救いを見た」という確信
を込めて歌いたいものです。
 詩編唱で歌われる「新しい歌」とは、新しく作られた歌というよりも、救いの体験によって新たに意味づけされた歌で
す。今日、黙想される詩編唱は、すべて、キリストの過越という、神の不思議なわざによって、全く新しい意味を持つ
ようにされました。特に、わたしたちは、キリストの死と復活に結ばれる洗礼によって、すべてが新たにされていま
す。この、新しいいのちの喜びを、この詩編に込めて歌いたいものです。
 最初にも書いたように、聖母マリアは、この詩編をはじめ、旧約聖書をもとにして「マグニフィカト」を歌われました。
つまり、聖母マリアは、旧約聖書を暗記しておられたのです。わたしたちも、マリア様のこのような熱心さに倣いたい
ものです。
【オルガン】
 復活節の答唱詩編なので、やや、明るめのストップにするのもよいでしょう。フルート系のストップと組み合わせな
がら、4’は、明るめのストップを使うと際立ちます。前奏のときにも、伴奏のときにも、「すべてのものが」のところを
accel.気味=やや早目にすれば、会衆も、それに倣うことができると思います。一長一短にはいかないかもしれま
せんが、何回も繰り返すことで、次第に祈りに生かしてゆくことができるでしょう。なお、半音階のところは、十分なレ
ガートになるようにしたいものです。

《C年》
 55 神のみ旨を行うことは
【解説】
 詩編67は、最初、豊作を求める祈りから始まり、収穫への感謝、神に祝福を求める祈りへと続き、さらに、すべて
の民と被造物への祝福を求める祈りへと発展してゆきます。祝福を求める祈りは、民数記6:24-26の「アロンの祝
福」の式文(『典礼聖歌』遺作「主があなたを祝福し」参照)を言い換えたものです。イスラエルをとおしてすべての民
が祝福を受けるという思想は《第二イザヤ》と同じで、パウロも「ローマの信徒への手紙」(12章など)で同様のことを
説いています。第2バチカン公会議の『教会憲章』でも「教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な
交わりと全人類一致のしるしであり道具である」(1項)と述べられています。実は、このことは『聖書』に一貫して流
れている、神の救いの本質でもあるのです。
 答唱句の前半、従属文の部分は、「おこなう」が最高音(B=シ♭)を用いてことばを強調しています。続く「うこと
は」では、一時的に属調のF-Dur(ヘ長調)に転調することで、丁寧にことばを語り、行う決意を呼び起こします。後
半は、すぐにB-Dur(変ロ長調)に戻り、まず、「わたし」が最低音のCから始まり、謙遜のこころを表します。「こころ
の」は、付点八分音符と十六分音符で、最後の、「よろこび」は音価が拡大され、斜体の部分は最高音B(シ♭)によ
って、こころ(魂)が喜びおどる様子と、答唱句全体の信仰告白の決意を力強く表しています。
 詩編唱は、終止音と同じ音から始まり、1小節1音の音階進行で下降して、開始音Fに戻り、作曲者の手法「雅楽
的な響き」の和音で終止します。バスのEs(ミ♭)は答唱句のバス(D=レ)とテノール(F=ファ)のオブリガートとなっ
ています。
【祈りの注意】
 答唱句全体の信仰告白は、教会の母である聖母マリアが歌った「マリアの歌」(マグニフィカト ルカ1:46-)に通じ
るものです。いつも、この信仰告白の決意を持ち、神の み旨をわきまえることができるように祈りましょう。
 「神の」を心持ち早めに歌うことが、この信仰告白の決意のことばを生き生きとさせます。メトロノームのように歌うと
逆にだらだらしますし、上行の旋律も活気がなくなります。「みむねをおこなう」は、現代の発音では同じ母音Oが続き
ます。どの声部も同じ音で続くので「み旨をーこなう」とならないように、はっきり言い直しますが、やりすぎにも気をつ
けましょう。「ことは」の後で息継ぎをしますが、この息継ぎは「は」の八分音符の中から少し音を取って、瞬時に行い
ます。ここを、テンポのままで行くと、しゃっくりをしたようになります。この前から少し rit.すると、息継ぎも余裕を持っ
てできますし、何よりも祈りが深まります。
 後半は、すぐにテンポを元に戻しますが、「こころ」あたりから rit. に入り、付点のリズムを生き生きと、また、力強く
歌って締めくくりましょう。この時、先にも書きましたが、聖母マリアの心と同じこころで歌うことができればすばらしい
と思います。なお、これらの rit. は、いつしたのかわからないように、自然に行えるようになると、祈りの深さもまして
きます。
 第一朗読の「使徒たちの宣教」では、改宗する異邦人(ユダヤ人以外)に割礼を施すかどうかが、論議されます。最
終的には、肉の割礼が問題なのではなく、心の割礼が大切であることが確認されます。このことを決めたのは、使徒
たちだけではありません。「聖霊とわたしたち」とあるように聖霊が一緒に働いてくださったことも思い起こしたいもの
です。このことによって、自分たちはユダヤ教の伝統を守ってきた、と考えていた人たちの中には、教会から離れてい
った人たちがいたかもしれません。わたしたちも、何が本当に「神の み旨を行うこと」なのか、日々、祈りながら神の
示される道を歩みたいものです。
【オルガン】
 復活節の答唱詩編であり、答唱句のことばも考えると、いきいきとした、音色がほしいものです。常々指摘している
ように、オルガンの前奏がいきいきとしていなければ、会衆の答唱がいきいきするはずはありません。だからといっ
て、オルガンの前奏が、せかせかして聞こえると、祈りが落ち着きのないものとなります。良いテンポを保ちながら
も、品位をもった前奏と、伴奏を心がけましょう。そのためには、オルガン奏者自身が、まず、日頃から、なにが神の
み旨なのかを見極める、信仰の目を養う必要があります。
 もう一つ、「ことは」の後での息継ぎと、そのための rit. も、ふさわしく提示できるようにしてください。この部分だけ
でも、100回練習しても、少なくはあれ、多いことはないと思います。


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